これをどうしろ、と。「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民」。

ドキュメンタリーというよりは、記録映像って感じやな。
森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民族」というドキュメンタリー映画を観てきた。

なんだか、さしみをボン!と目の前に置かれた気分、
いや、さしみというより生肉か。
全然料理されてなくて、どう食えばいいのか分からない。
ドキュメンタリー映画なので、
間違いじゃないと言えば、間違いじゃないのだろうが。。

正直に言うと、予告編など観ずに、下調べなしに
ほぼポスターに惹かれただけで観に行った。
元々、少数民族に、興味もあるし。
けど、映画の中で出てくるこの格好、
数代前の先祖がやってた格好らしく、
わざわざお願いしてやってもらってた。
今の彼らは、普通にユニクロで売ってそうなTシャツ着てるし、
ジーパンも履いてるし、
スマホも知ってるし、イヤホンしてるビジュアルもあったので、
住んでるのは、バナナの葉で作った雨露をしのぐだけの家で、
ノマド生活を送ってるようだが、
それなりに貨幣経済と接してて、電気についての知識もあるようだ。
それ以外の生活でも、この少数民族固有の、
興味深い習慣や知恵があるわけでもないようだった。

それは事実なので、どうこう言う問題ではないけど、
ポスターを観て映画にいったワシは、
なんとなく「騙された感」を抱いてしまった。

まあ、その騙された感を別にすると、
そこまで現代文明に接していながら
ノマド生活を送るってのは、おもろいなあ、とは思う。
少し、今や定住生活に変わってしまったと言われる
かつての日本のノマド、サンカについて描いた映画「山歌」を思い出した。

途中に出てくる、村の生活に憧れ、村に入り浸って働かない夫を責める妻が出てきて、
その夫婦喧嘩の過程が、この民族の生活や結婚観の特徴が出てきて、
面白かったのだけど、結局、その話は、途中でどっかに行ってしまった。

この民族、国境も隔てて、いくつかに分かれて住んでるらしいのだが、
長い時間の間に、お互い恐れあってるらしく、
元は同じ民族だった彼らを、日本の研究者が会わせようとする。

それも、う〜〜ん、必要?と思ってしまった。
民族が分かれたと言っても100年くらい前らしい。
映画を観た限りでは、今現在は、対立というより無関係に思えた。
それぞれが、それぞれに、もはや違ってしまった文化や価値観を持って、
違った生活してるのに、会わせる必要は、どこにあるのだろう。
何も困ってないのに結びつける必要があるのだろうか?
少なくとも、映画を観てるワシには、
その必要性は感じられなかった。
観落としてる箇所があるのかもしれないけど、
「会わせたら、どんな反応があるのだろう」という
研究者の興味が発端になってるように見えてしまった。

もちろん、起承転結などはなし。
何となく観終わっての印象で言うと、
民族博物館とかで観る、少数民族の暮らしの
資料映像のように感じてしまった。

「ノマドと言えど、地続きの土地で生きてる以上、
現代の文明や貨幣経済とは無関係でいられないのだな」ということと、
「こういう暮らしをしてても、ワシと同じように感じたり、
心が揺れたりすることもあるのだな」という感想を持ったことが、
この映画を観た成果、と言えば、成果だ。

この感想が、制作者の狙ったところなのか、
ほかに狙いがあったのかは、わからないけど。

もしかして、観落としたり、
勘違いしてたりすることがあるのかもしれないが、
映画を観て、ワシが感じたことを忘れないうちに書き留めておく。

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