でも、個展。「生誕100年 清水九兵衞/六兵衞」@京都国立近代美術館。

先週土曜、京都国立近代美術館でやってる「生誕100年 清水九兵衞/六兵衞」に行ってきた。

なんか清水焼の兄弟作家みたいですが、実は同一人物。
清水六兵衞は、代々継承していく清水焼の名前で、この方は七代目の六兵衛さん。
この方、陶芸と別に金属彫刻でも数々の作品を残しておられるんで、
そっちでの名前が九兵衛さんってわけです。

九兵衛さんとしての作品は京都のあちこちにあるんで、
もしかしたら、知らんうちに目にしてるかもです。

順序としては、実際のキャリアに合わせて六兵衛作品からの展示。
ここ、撮影禁止やったんですが、すごく面白かった。
六兵衛さん、焼き物は、どうしても最後計算できないところがあるんで、
全部思った通りにできる金属彫刻の方にも手を出したらしいんだけど、
そうなっていく気持ちがわかるような時代時代の陶芸作品でした。
最初から、完成度は高いんやけど、まあ言ってみれば、他でも観たことある気のする器。
それが、どんどん完成度上げていって、端正になっていくんやけど、
最後は、きれいに作った後、最後に切れ込みとか入れて、不確実な要素を入れてる感じ。
「どうせ、全部思い通りにはならんのやったら、予想できない要素加えてやるか」
みたいな感じかなあ、と推測しましたが、どうなんでしょう。
極限まで幾何学的な美しさを求めながら、最後裏切る感じがおもろかったです。
そういうことやっていくと、陶芸作品も、少しすつ用の美から遠ざかっていったんかな?
一応、花器とか香炉とかの機能は留めてるのかもしれないけど、
どこから挿すのか、水はどうやって溜めるのか、わからんような、
純粋造形に近づいてるような作品も、増えていく感じ。

ワシの好きな民藝とは正反対の方向性っぽいけど、
ご近所ってこともあって、民藝のエース、河井寛次郎さんとも懇意だったそうです。

それが九兵衛さんになると、さらに炸裂して、
用の美からがスッパリ離れて、もう完全に抽象芸術。
何がモチーフになってるかもわからない大型の造形が続きます。
こっちは一部、写真OKでした。

表面は意図的にゴワゴワに加工してるのもあるけど、
多くはヘアラインを意識した、幾何学的な彫刻がほとんどで、
これだけ観て、清水焼を想像する人はまずおらんやろな、思いました。

きっと頭にある立体を、そのまま形にしたのでしょう。
無機質な幾何学的な彫刻やのに、
何か観飽きないんすよね。

「街中の九兵衛作品巡り」、今度やってみようかな、思ってます。

同時開催のコレクション展では、九兵衛が活躍した時と同時代の作家の作品などを展示。
気に入ったのをアップしておきます。

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