演劇集団風煉ダンス 朗読劇&ライブ「まつろわぬ民2022更地のうた」@高槻市生涯学習センター 多目的ホール。

先週木曜15日は高槻で、久しぶりのホールでの公演を観に行ってきた。
ずっと行きたかった白崎映美さん出演の「まつろわぬ民」。
コロナ前は、歌ありダンスあり、ど迫力の舞台と聞いてて、観たい!と思っていた。

今回は、昨今の事情で、2021年東日本でもやった朗読劇での公演と聞いて、
少し残念だったのだが、行ってみると、残念に思った自分を叱りたくなるような
素晴らしい舞台だった。

西日本にいると、なかなか実感できないのだけど、
東日本大震災の被災地の「今」が、
血を流すような思いの続いてる原発避難区域だった地区の「今」が、
リアルに迫ってきて、胸が苦しくなった。

朗読劇である分、ひとつひとつの言葉が、耳に刺さる。
ビジュアルが大きく動かない分、
自分の想像力が勝手にフル稼働する。
朗読劇という状況を、メリットに変えてしまう
エンターテイメントとしても、素晴らしい公演だったと思う。

11年経って、震災復興をお題目にしたオリンピックも終わって、
あの地域の復興は、もう成し遂げられたのか。
そんなわけはない。

人々の思い出や、先祖の記憶につながる家屋や田畑ごと潰して、
汚染区域の除染は、ある程度は済んだのかもしれない。
けど、それは、大切な思い出ごと、更地にしただけのこと。
ゼロにしただけのこと。(いや、まだマイナスだろうけど)

まだまだ安心して暮らすには、程遠いし、
何より、そこに暮らしていた人の気持ちが、
どれほど「復興」と呼べる段階に来てると言うのだろうか。

10年以上経って、直接の被災者以外の人々の関心は、
確実に、震災直後より薄れているだろう。
だけど、本当の「心の復興」は、まだまだこれからなのではないか、
そのことに、この朗読劇は、気づかせてくれた。

日本には「水に流す」という言葉、というか思想がある。
辞書的には「過去にあったことを、すべてなかったこととする。」という意味だ。
相手への恨みや、自分の施したいいことに対して使われるなら、
いい言葉かもしれないけど、
昨今は、悪い意味で使われることが多い気がする。
過去に日本という国の犯した罪に対して使われたりもする。
歴史を直視しない国家は、同じ過ちを冒しかねない。

東日本大震災にも、この「水に流す」という思想が使われ始めてる気がする。
「更地にした」「ゼロにした」から、もう過去はなかったこと。
もう「水に流して」いい段階。
あとは、そこに住む人、住みたい人の自己責任。
国家が、世間が、そんなふうに思おう、
そんな方向に持っていこうととしてる気がする。
だから「原発再開」みたいなことも言えてしまうのではないか。
本当は、ゼロにすらなってないのに。

そういう意味でも、この朗読劇に、
「鬼一族」という視点を持ち出したのは、
素晴らしいと思う。
古代から、中央政権に対し、
「鬼一族」「まつろわぬ民」と征服の対象にされた東北地方。
中央集権的国家権力への反対勢力としての歴史が培われた地方。
今こそ、その記憶を「水に流す」ことなく、呼び起こし、
「おかしいことはおかしい」と言うべきなのだろう。

そして、それは、東北地方だけの問題ではない。
日本に住む、あらゆる人が、瀕してる問題でもある。
原発は日本各地にあるし、日本は世界有数の地震国でもあるし、
広島・長崎・ビキニの被爆で苦しむ人も日本中にいる。
ひとりひとりが今こそ「まつろわぬ民」になって、
政府のやるおかしなことにNOを叫ぶべきなんや、
と、この朗読劇が教えてくれた。

いろいろ考えさせてもろたあと、しばしの休憩。
この公演は、二部構成で、二部は白崎映美さんのライブだった。
ギターのファンテイルさんの伴奏で、
映美さんの歌声が響く。

映美さんの気持ちを撫でるような歌声は、
何か、朗読劇で感じたこの国の矛盾に対する怒りを鎮めながら、
冷静な判断へと導いてくれる気がした。
正しい怒りでも、激情に駆られた発言は、
人の気持ち、特に反対の意見を持つ人の気持ちを変えることはできない。
その怒りを、客観視して、冷静な思考で、
平熱で発言しないと、溝は広がる一方なのかもしれない。
二部があって良かった!と心から思った。

そして、ファンテイルさんのギターの涼やかさが素晴らしかった。
たぶん、渋さ知らズの演奏で聴いたことはあるはずなんだけど、
この日は、合奏ではなく、ギター一本での演奏だったので、
そのよどみなく、流れるような素晴らしさが混じり気なくワシに届いた。

映美さんの歌の素晴らしさは言わずもがな、だ。
今まで映美さんとは酒のある席でしか、お会いしたことがないのだが、
「あの映美さんと、この菩薩みたいな映美さんは同一人物なのか?」と思ったりもしたが、
MCで、ズルズルの酒田弁が出ると「ああやっぱり映美さんや!」と安心した(笑)

最後、全員登場のところは、撮影OKやったので、
撮らせて頂きました。

一部の劇中で、二部のアンコールで歌われた「更地のうた」、
初めて聴いたけど、本当に素晴らしかった。
日常の尊さが、痛いほど、迫る。
震災直後ではなく、震災10年後だからこそ生まれた、
今の時代の震災の歌だと思う。

阪急高槻駅に向かう帰り道、
散り残るハナミズキが、美しかった。
日常を慈しむ、というのは、こういうことかもしれんと思った。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA