組織が、数字が、個人を飲み込もうとする。BBBムービー「あしたの少女」。
圧巻の映画だった。
韓国の普通の少女が体験した、
もしかしたら、よくある話なのかもしれない。
けど、たまらんくらい救いのない話。
それを容赦無く描き切った印象。
組織が、数字が、個人を飲み込んでいく。
被害者はもちろん、加害者もまた、飲み込まれている。
主人公を二人にすることで、前半では被害者の、
後半では加害者の、飲み込まれようを描く。
その構成が見事やなあ、と思った。
組織が個人を飲み込んでいくのは、
後半の主人公の属する警察でも同じ。
そこすらも、この映画は容赦なく描いていた。
韓国映画のクオリティ、正直さ、妥協のない
「描こう」とする姿勢にも、感心した。
映画を観終わって思い浮かんだのは、
「悪の凡庸さ」という言葉だった。
これは、ナチスのアイヒマンを見て、
ハンナ・アーレントが考えついた言葉だが、
この言葉は、戦争に限ったことではないのだ、と思った。
凡庸な一個人、罪のない小市民が、
組織や数字に飲み込まれると、
大きな悪を、義務として遂行してしまう。
そういう組織や数字に、対抗できるのは、
「人間が人間であること」でしかないのかもしれない。
これからも、個人を飲み込もうとする、
組織や数字が出てくるのだろう。
それを見抜いて、人間として、対抗していける自分でありたい、
と心から思った。