「好き」は変えられない。「好き」に理由はない。BBBムービー「正欲」。
※ややネタバレあり。
友だちに教えてもらって観た。
なんかずっと疑問に思ってたこと、
答えはもらえなかったけど(答えの出る問題じゃないかもしれない)、
同じように考えてる人がいるんやなあ、と思って、
なんだかホッとした。
生まれついてのものなのか、
育って来た過程にも拠るのかわかないけど、
それに気がついたとき、
「好き」はもう変えられないものになってる。
「好き」に合理的な理由はない。
コントロールもできない。
だけど、それが、反社会的であったり、
なかなか他の人に理解できないものであった時、
人はどうすればいいのだろう。
ワシがそのことを考え始めたきっかけは、
小児性愛で前科のある方が、出ていらしゃった
ドキュメンタリー番組を観たときからだ。
いや、その前から、なんとなく気にはなってたのだが、
その時から、改めて、意識し始めたのだろう。
もちろん、相手の承諾なしだったり、
相手が判断力の備わってない子どもを対象に
行動を起こしてしまうことは、
大きな犯罪で、それを禁じること、罰することに異論はない。
だが、その行動のスタートラインである、
性的嗜好は、自分で変えられないものでもある。
ドキュメンタリー番組に出てらっしゃったその方は、
前科を悔いて、できるだけ子どもの近くに行かない、
できるだけ、他のことを考える、
などの方法で、自分の嗜好を封じ込める努力をしてらっしゃった。
そうなのだろうな。
封じ込めるしか方法はないのだろうな。
スタートラインの嗜好そのものを変えることは、きっとできないのだ。
この映画に出てくる主要登場人物は、
犯罪ではないが、やはり人に理解されない性的嗜好で、
生きにくい人生を送っていた。
その人たちから出てくる言葉、
「地球に旅行に来た異星人」
「この世界への違和感」、
「普通の人間に擬態してる」などは、
性的嗜好こそ関係ないけど、
ワシが中学生のときくらいから、
ずっとこの世界に感じてるものでもあるので、
「共感」という意味でも、
突き刺さるものがあった。
自分を「普通」だと認識していて、
それ以外の性的嗜好や、学校に馴染めない人を理解できない人物が、
逆に孤立して「普通」を手放してしまう
ラストシーンは、「お見事!」と快哉を叫んでしまいそうだった。
この映画、キャスティングが素晴らしい。
新垣結衣さん、稲垣吾郎さん、
ほんま、今までのイメージと違う役柄を、
「このキャスティング以外、考えられない」と思うほどに、
演じ切っている。
このキャスティング、スタッフも本人も、
最初聞いたとき、「なんで?」と思うくらい、
意外やったんちゃうやろか。
いやあ、面白い映画だった。
松永さん!教えてくれてありがとうございます!
よくぞ、こんな難しい問題を世に問うてくれたなあ。
他人の意思を踏み躙ったり、迷惑をかけたりしない限り、
性的嗜好に限らず、すべての「好き」が、許される世の中が来ますように。
理解できない人でも、存在を許してくれる人たちが、
少しずつでも増えていきますように。