感情は勘定を凌駕する。BBBムービー「罪深き少年たち」。

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予告編に「真実を探し出せ」とあるが、
事件の真実という意味では、真実は映画の半分くらいで、
はっきりと分かっている。
暴き出すべき「真実」は、むしろ、事件よりも、冤罪を引き起こした警察の側にある。

韓国で起こった、少年犯罪の冤罪事件をベースにした映画。
実話がベースになってることが、
ほんまに痛ましい。
映画の中で、なんども心から腹を立てた。
その分、最後の方は、どうしても涙が出て仕方なかった。

きっと、それが冤罪であることを誰よりも分かっているのは、
真犯人なのだろう。
その真犯人が「しめしめ」と思ってるのではなく、
罪の意識に苛まれてるのであれば、冤罪は、真犯人をも苦しめるのだ。
逮捕されなくてラッキーでは、すまない。

「感情」は「勘定」を凌駕するのだろう。
感情との付き合いは、きっと人間が人間に進化する前からだろうけど、
勘定は、もしかしたら富の私有が始まった頃からなのかもしれない。
DNAへの刻み込みの歴史が、全然違うんだろう。

だから、この映画では、感情をベースに行動する、
少年たち、自分の過ちに気づき、少年たちの力になろうとする被害者の娘、
真実を暴こうとして自分の所属する警察権力と戦う警察官に、
気持ちが傾いていく。

そして何より、勘定を優先させようとして、逃げ隠れするが、
最後には、感情に抗えなくなって、決定的発言をする真犯人。
観てる間に、彼らに共鳴する気持ちが、
バクバクと音を立てて、本気の怒りと、本気の涙につながってしまった。

では、最後まで、勘定を優先させようとする人たち、
警察や検事はどうだろう。
新たな物証にも、理屈を重ねて、ねじ伏せようとする。
そこには最低限の人権意識も、見えない。
自分と自分の所属する組織の権威を守れれば、
真実は、どこに行っても構わない。
観てて反吐の出る思いだった。

実際の事件でも、この人たちにはなんのお咎めも、なかったらしい。
少年たちがやってもいない犯罪を自白させられたこと、
書けるはずのない調書を書かされたことを考えると、
そこに犯罪行為があったことは、明らかだと思うのだが。

そう思うと、この映画のタイトルは、
「罪深きおっさんたち」にすべきやないかなあ、と思った。
原題は、どういう言葉なのかは知らないんやけど。

ちなみに、登場人物で、ワシが一番好きなキャラクターは、
主人公の戦う警察官ではなく、
その奥さんです。
ああ、あのシーンのスカッとしたこと!
この映画が日本でリメイクされるなら、
ぜひ、江口のりこさんに演じてほしいです。

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