沖縄全戦没者追悼式でひとりの高校生が朗読した平和の詩。

今年の沖縄全戦没者追悼式の動画を見た。
記憶に強く残ったのは、拍手で迎えられた翁長知事ではなく、
「戦争屋は帰れ!」の罵声を浴びた安倍総理でもなく、
(なぜか内地では報道されなかったらしいが)
一人の高校生の詩の朗読だった。

2015年平和の詩「みるく世(ゆ)がやゆら」 与勝高校3年・知念捷

「みるくゆがやゆら」(弥勒の世だろうか?)、
つまり「平和でしょうか」となんども問いかける詩。

知念くんの朗読は42分過ぎから。

戦争で夫を亡くし、その70年後、
90を超えて認知症の始まった祖父の姉に照らし合わせて、
消えて行く戦争の記憶を、浮き彫りにする。
彼女はそれに抗うように、唄を歌う。
唄の島、と言われる沖縄ならではかもしれない。
しかし、沖縄の歌のほとんどは、哀しみがモチーフになっている。

琉歌をもモチーフにしながらできた彼の詩は、
古い歌をもチャンプルーしながら、新しい歌を生み出す、
という沖縄のこれまでの手法とも、重なる。

祖父の姉の哀しみを完全に理解することはできないが、
できるだけ寄り添いたい、と彼は言う。

歌と同じように、心も先人の気持を取り込みながら、
新しい心が生まれる。
寄り添うことで、哀しみも引き継ぎながら。
沖縄に、新しい歌がまた生まれた。

出演順は、翁長知事、彼、安倍総理の順。
二人の間で、彼は堂々と、琉歌も交えつつ朗読し、
誰よりも拍手をもらっていた。

彼の後の出番だった安倍総理は、
仕方ないけど、白々しさが余計に目立ったことだろう。

ワシが、初めて、摩文仁に行ったときに、驚いたのは、
あそこには、沖縄で亡くなったアメリカ人の名前も刻まれていること。
沖縄の人や日本の兵隊さんに比べれば少ないとは言え、
あの戦争では、相当の数のアメリカ兵も亡くなった。
その人たちは、縁もゆかりもない沖縄で、たったひとつしかない命を落とし、
死んでなお、一部の人たちからは、敵扱いされてる。
その人たちのご冥福も祈る。
ワシは、それを知ったとき、この施設の素晴らしさを知った。
この施設が憎んでいるのは、敵国でも、日本軍でもなく、
一人一人の命を、数としてしか考えられない、戦争、というもんなんだと思う。
亡くなった方、一人一人の気持ちや夢や挫折や哀しみを理解できなくても、
わかろうとすること、基本的人権って、そういうことだと思う。
だから、決議の仕方でも、戦争でも、数の論理しか見ていない、
今の政権は、ワシは嫌いなのだ。

摩文仁には、すべての人を名前や住所で検索して、
その人の名前が刻まれた場所を教えてくれる システムがある。
検索すると、確かワシの育った枚方の方も刻まれていたはず。
そして、いまだに、摩文仁には、毎年、いくつかの名前が足されている。
それは、やっと名前がわかった方など。

こないだ、まさに沖縄戦の最中に生まれ、
そのまま亡くなった男の子が「誰それの長男」と記されているドキュメンタリーやってた。
そこまで名前を刻むことにこだわる理由は、
もちろん亡くなった方のご冥福を祈るためもあるけど、
残された人々が、遺骨も見つからない亡くなった方を偲ぶためでもあるのだと思う。
そのドキュメンタリーで、刻まれた文字を指でなぞりながら、
嗚咽を漏らしていたシーンに、胸がつまりまった。

戦争は、人間が発明してしまった最も愚かな悪なのだと思う。

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