沖縄全戦没者追悼式でひとりの高校生が朗読した平和の詩。
今年の沖縄全戦没者追悼式の動画を見た。
記憶に強く残ったのは、拍手で迎えられた翁長知事ではなく、
「戦争屋は帰れ!」の罵声を浴びた安倍総理でもなく、
(なぜか内地では報道されなかったらしいが)
一人の高校生の詩の朗読だった。
「みるくゆがやゆら」(弥勒の世だろうか?)、
つまり「平和でしょうか」となんども問いかける詩。
戦争で夫を亡くし、その70年後、
90を超えて認知症の始まった祖父の姉に照らし合わせて、
消えて行く戦争の記憶を、浮き彫りにする。
彼女はそれに抗うように、唄を歌う。
唄の島、と言われる沖縄ならではかもしれない。
しかし、沖縄の歌のほとんどは、哀しみがモチーフになっている。
琉歌をもモチーフにしながらできた彼の詩は、
古い歌をもチャンプルーしながら、新しい歌を生み出す、
という沖縄のこれまでの手法とも、重なる。
祖父の姉の哀しみを完全に理解することはできないが、
できるだけ寄り添いたい、と彼は言う。
歌と同じように、心も先人の気持を取り込みながら、
新しい心が生まれる。
寄り添うことで、哀しみも引き継ぎながら。
沖縄に、新しい歌がまた生まれた。
出演順は、翁長知事、彼、安倍総理の順。
二人の間で、彼は堂々と、琉歌も交えつつ朗読し、
誰よりも拍手をもらっていた。
彼の後の出番だった安倍総理は、
仕方ないけど、白々しさが余計に目立ったことだろう。
ワシが、初めて、摩文仁に行ったときに、驚いたのは、
あそこには、沖縄で亡くなったアメリカ人の名前も刻まれていること。
沖縄の人や日本の兵隊さんに比べれば少ないとは言え、
あの戦争では、相当の数のアメリカ兵も亡くなった。
その人たちは、縁もゆかりもない沖縄で、たったひとつしかない命を落とし、
死んでなお、一部の人たちからは、敵扱いされてる。
その人たちのご冥福も祈る。
ワシは、それを知ったとき、この施設の素晴らしさを知った。
この施設が憎んでいるのは、敵国でも、日本の軍人でもなく、
一人一人の命を、数としてしか考えられない、戦争、というもんなんだと思う。
亡くなった方、一人一人の気持ちや夢や挫折や哀しみを理解できなくても、
わかろうとすること、基本的人権って、そういうことだと思う。
だから、決議の仕方でも、戦争でも、数の論理しか見ていない、
今の政権は、ワシは嫌いなのだ。
摩文仁には、すべての人を名前や住所で検索して、
その人の名前が刻まれた場所を教えてくれる システムがある。
検索すると、確かワシの育った枚方の方も刻まれていたはず。
そして、いまだに、摩文仁には、毎年、いくつかの名前が足されている。
それは、やっと名前がわかった方など。
こないだ、まさに沖縄戦の最中に生まれ、
そのまま亡くなった男の子が「誰それの長男」と記されているドキュメンタリーやってた。
そこまで名前を刻むことにこだわる理由は、
もちろん亡くなった方のご冥福を祈るためもあるけど、
残された人々が、遺骨も見つからない亡くなった方を偲ぶためでもあるのだと思う。
そのドキュメンタリーで、刻まれた文字を指でなぞりながら、
嗚咽を漏らしていたシーンに、胸がつまりまった。
戦争は、人間が発明してしまった最も愚かな悪なのだと思う。
2022年の小学2年生の詩。
(20240626記)