映画「琵琶法師 山鹿良之」。

今年は「最後の琵琶法師」と呼ばれた
熊本県南関に住んでた山鹿良之さんの
生誕120周年にあたるそうである。
その期に、30年ほど前に制作された晩年の山鹿さんの
ドキュメンタリー映画「琵琶法師 山鹿良之」が公開された。

ワシは、琵琶法師というものを言葉でしか知らなかった。
観たことはもちろんない。
平家物語を琵琶を弾きながら語る人という知識は、
もちろん小泉八雲の「耳なし芳一」からの知識で、
ほぼそれが全知識だった。

なので、この映画を観てみたくなったのだった。

琵琶という楽器が、実際に演奏されるのすら、
この映画で初めて観たかもしれない。
「かもしれない」というのは、それもこの映画のフライヤーで知ったのだが、
琵琶の演奏者には、大まかに言って、二種類あって、
雅楽の楽団員としての琵琶奏者、そして民間の演奏者としての琵琶法師。
もしかしたら、雅楽の琵琶演奏は、どこかで観てるかもしれない。
山鹿さんはもちろん後者だ。

平家物語の頃は、琵琶法師は、日本にもっといたらしい。
耳なし芳一同様、目の不自由な方がなることが多かったらしい。
しかし、持ち運びの便利さから、やがてその役は三味線に取って代わられた。
津軽三味線の初代高橋竹山さんも目は不自由だった。

しかし、九州においては、琵琶法師は、
宗教的行事の一環として存在してたため、
現代にまで残ったらしい。

その演奏と語り、謡いは、予想と大きく違っていた。
講談と、浪曲と、読経を混ぜたような語りのスタイル。
あるときは歌い、あるときは語る。
そして琵琶は伴奏というより、歌や語りの合いの手のように使われてた。
浪曲いう「ベンベン!」みたいな存在だ。
指も動かしてるのだが、音程の違いはあまりわからなかった。
少し音程が違ってるのは分かるのだが、
その違いにあまり意味があるようには、思えなかった。

ときには、それが面白いリズムを刻み、
謡いや語りが激しいときには、琵琶も激しく、
リズムギターの演奏のようにも思えた。
そんなことも関係してるのか、
ワシが初めて聴いた琵琶法師の演奏について感じた印象は、
「パンクやなあ」というものであった。

昔から口伝のみで伝わってきて、
文章に起こされていないので、
正確な数はわからないという山鹿さんのレパートリーの中から、
今回の映画で取り上げられたのは「小栗判官照手姫」の物語。
これが、語られながら、並行して山鹿さんの人生が紹介されるスタイル。

ワシは小栗判官照手姫についても、そのタイトルくらいしか知らないことを
映画観ながら気づいた。
めっちゃ面白い話で、次第に山鹿さんの世界に引きずり込まれた。

ただワシがこの映画で知ったのは、琵琶法師の一般的な世界なのか、
山鹿さんのオリジナルな世界なんかは分からなかった。
琵琶法師の世界、もう追いかけられないのかもしれないけど、
もう少し深く、知りたい気がした。

最後に付け加えたいのは、山鹿さんの人間的な魅力である。
観始めたときは、「おじいちゃん」としか思えなかったのだが、
酒好きで、グビグビ行きながら、可愛い笑顔で笑う山鹿さんに魅了されて、
観終わったら、すっかりファンになってしまっていた。

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