昔話ではない。私人逮捕にも、戦争にも、繋がる人間の愚かさ。BBBムービー「ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ~」。

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ワシらのちょっと上の世代、
学生運動の時代、内ゲバ、リンチ殺人のきっかけになった、
川口大三郎事件をドキュメンタリー&ドラマで構成した、
緊張感の途切れることのない映画だった。

自分の正義だけしか許さない原理主義の怖さ。
原理主義と原理主義がぶつかる。
ある意味、学生の純粋さ、純粋ゆえの馬鹿さが
引き起こした事件とも言えるかもしれないけど、
「自分だけが正しい」「正しければ暴力は許される」と思う集団は、
学生でなかろうと、同じことをやってしまうのは、
今の時代を見ていても明白であろう。
今、世界の各地で、大の大人が国をあげて、
本質的には、これと同じことをやっているのだと思う。

映画は、普通の人間が集団になると、
躊躇なく暴力振るう怖さを暴き出す。
予告編の冒頭の言葉、
この時代のプレイヤーの一人、
重信房子さんも、時間を経て、
冷静に考えれば、この異常さ、闘いの欠陥に気づくのに、
当の人間たちには、それが見えてこない。
自分たちにしか通用しない理屈を盾に、
ただの殺人でしかない行為を正当化する。
ほんまに怖しいなあ。

ワシは、この時代に少し遅れて生まれてきたので、
実を言うと、革マル派と中核派の違いもよく分かってなかったし、
映画を観た後でも、その違い、分かったようで分からないし、
分かったとしても、とても、人を殺す理由になるような違いだとは思えない。
しかし、この事件は、ワシが大学に入学する、
10年も前ではない事件なのだ。
そのことが、どうしても信じられない。

映画観てて、ふと思ったのは、
今、社会問題になってる私人逮捕も、
結局は、この事件と同じことではないか、ということだ。
どちらも「自分は正しいから、犯罪行為も許される」という理屈。
だから、いろいろ問題はあるかもしれないけど、
警察が必要なのだな。
その警察がいない、国と国、民族と民族の、宗教と宗教の、
これと同じ行為である戦争を止めるのは、
神しかいないのであろうか。
人間の叡智を集めて、
この犯罪行為を裁くことができる世の中が来ますように。

映画の中での、再現芝居は様子がわかって、良かったのだが、
そのメイキング部分が、長すぎる気がした。
現代の若者のス素の姿を出して、
「昔のことで片付けられる問題ではない」と言いたかったのだと思うけど、
映画の長さ、考えると、
そこまでして、描写することもなかったように思えた。

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