質問する力のある子ども。BBBムービー「夢みる小学校」上映会@千里金蘭大学。
先週金曜、千里金蘭大学に行った。
最寄駅は、阪急千里線終点の北千里。

今年初めての北千里駅。
ウソです。
寝過ごして来たんで、今年四回目。
改札から出るのは、「初」。

考えてみると、この前日、京大吉田寮に行ってた。
二日続けての大学。
もちろん目的は勉強ではない。
なにも学んではいない。
以前観て「ええなあ」思った映画「夢みる校長先生」の、
前作映画「夢みる小学校」、劇場公開は終わってたので、
自主上映してるところを探して、行き着いたのがここだったのだ。
こっちも素晴らしい映画だった。
小さな子って、何でも親や周りの人に、
「これ何?」「なんで?」「どうして?」と質問する。
こっとワシもそうだったはず。
なのに、いつの間にか、「何でも聴くのは恥ずかしいこと」と
思ってしまってることに、若い頃、気づいた。
それからは、
「聴くことは恥ずかしいことじゃない。」
「自分の無知を知られることも恥ずかしいことじゃない」
「むしろ、知らないままでいることの方が恥ずかしい。」
と意識的に思うようにした。
「無知より無恥」だ。
きっとどんな子でも、知らないことは、
聞く子たちだったはずだ。
ワシも含め、どこかで教育されて、
質問するより、先生の言うことを、
言われたまま聞くことの方が大事なこと、
と思わされてしまったのだろう。
この学校出身の子どもたちは、
大学でも質問することに躊躇いがないらしい。
「この教育、むちゃくちゃ正しいなあ」
その一点だけでも、そう思えた。

先生、生徒の関係ではなく、
基本的には対等。
人間と人間の関係。
その中で生まれた尊敬の念は、
押し付けられたものより、
きっと根源的で強いのだろう。
前に観た「夢みる校長先生」でも気になったのだけど、
この映画でも、全部プラス方向の、
ええところしか言ってないことが少し気にはなった。
どんなことにも、少しはマイナスの局面もあると思うし、
プラスに至るための失敗もあるはずだと思う。
そういうところをあまり描かずに、
いいところだけ描かれると、
ほんの少しではあるが、
悪いことは決して言わないで、いいところだけを喧伝する、
原理的な新興宗教のような感じがしてしまう。
悪いところも客観的に見て、
修正していく姿勢も、少しは見せてほしかったなあ。
上映後のトークセッションも興味深かった。
ただ、「質問することが大事」という映画で、
せっかく対面式のイベントなのに、
最後、質問する時間が全くなかったことも気になった。
「ゆーてることとちゃうやん」と少し思った。
せっかく双方向のイベントにできるのに、
その機会を作らないなんて、もったいないなあ。
けど、基本的には、この小学校の在り方に賛成だし、
これからの学校は、こうなっていくべきだ、
ということは思った。

上映会終わって、外に出ると、
そこは絵に描いたような新興住宅地。
ワシも似たような町で育ったのだが、
一人一人違ってて、
それぞれに楽しそうな子どもたちの映画を見たばかりだったからか、
綺麗だけど、同じような建物ばかりが並ぶこの街が、
なんだか息苦しくなって、
「こんなとこでは暮らして行かれへんなあ」思ったのだった。
お店があったり、ビルがあったり、
ごちゃごちゃしてる町が恋しい。
大抵の家が、ほぼ同じ時から、
歴史始めてるんや、思うと、
なんだか、窒息しそうな気分になった。
駅前のスーパーで、お惣菜買って帰ろうと入ると、
お惣菜の品数がすごくて、
そこは少しだけ、羨ましくはなったのだが。