ビクトル・エリセ監督のルーツを探る。BBBムービー「ミツバチのささやき」「エル・スール」。
ビクトル・エリセ監督の新作、「瞳をとじて」に素直に感動できた。
なので、昔観て、よう分からなかった映画、
観逃してた(と思われる)映画が、リバイバル上映してたので、
「よし、再チャレンジや」と行ってみた。
「ミツバチのささやき」は、一度観ているはず。
だけど「よう分からんなあ」と思ったことくらいしか覚えてなかったので、
ほぼ初めて観るような気持ちで観られた。
現実と空想とが、混じり合う少女の意識を「子どもだから」と軽く観るのではなく、
本気でそれに付き合って、映像化したような作品やなあ、と思った。
たぶん、前に観たときは、その空想の部分と現実の部分が分からなくなって、
混乱したのだろうな。
今回も、実は、きちんと把握できたわけではないんやけど、
「それでもええか」とごっちゃのまま、楽しむことにした。
これが、この作品のおもろいところでもあり、
映画的な面白みであるような気もした。
そしてやっぱりこの作品でも「映画」がストーリーの核になっていた。
内戦後のスペインにやってくる移動映画が、きっかけに物語が動き出す。
ビクトル・エリセ監督、やはり映画の力を信じてるんやなあ、思った。
僭越ながら、昔自分が作った、二階堂の新聞広告を思い出した。
「エル・スール」はたぶん初めて観る作品。
(ここで「たぶん」付くのが、情けないなあ、ワシの海馬くん!)
やはり、この作品も、映画がひとつのキーになってるなあ。
そして三作観て気づいたんだけど、「瞳をとじて」は少し奥に引っ込んでるものの、
三作とも、父と娘、というのが、ひとつのモチーフにはなってるんやな。
昔は、スーパーマンのように憧れ、尊敬していた父親が、少しずつ、
現実の人間で、ただの男に見えてくる。つまらなさも見えてくる。
それは、どの娘にもあるかもしれない話なんやろな。
そして届かない存在になって初めて、「ただの男」ではあっても、
やはり大切な存在であったことが見えてくるのかもしれない。
そういう意味では、先日気になって二回観た映画、「アフターサン」に、
似た構造の映画なのかもしれない。
まあ当然、制作時期から考えたら、「アフターサン」の方が、
「エル・スール」を意識してるんだろうけど。
どっちも面白く思えたし、「ミツバチのささやき」の方が、
分かりやすかったんやけど、どっちが好きかと言われると、
「エル・スール」に軍配が上がる。
理由は、自分でもよく分からないのだが、
父が「ただの男」であること、そのことを娘に知られたことを、
自分でも恥じてしまっているようなところに共感したのかもしれない。
関係ないかもやけど、トロンボーンの大原裕さん、ドラムの芳垣安洋さん、
ベースの船戸博史さんのトリオ、サイツが出したアルバムに、
「EL SUR」てのがあったな。
この映画から取ったんかな?